「クラシックは癒しの音楽」。美しいメロディーや心地よいリズムに魅了され、こうしたイメージを持っている方は多いのではないでしょうか。
しかし著者は、クラシック音楽が「癒し」を売りにするのは、ステーキハウスがデザートの美味しさを自慢するようなものだ、と主張します。クラシック音楽のメインストリームは、実は「怖い音楽」だと言うのです。
たとえば、誰もがその名を知るモーツァルト。彼はオペラ《ドン・ジョヴァンニ》において、不気味で恐ろしいメロディーを奏で、従来の祝祭的なオペラのイメージを一新します。喜劇を観にやって来た当時の観客たちは、さぞ度肝を抜いたことでしょう。ここに初めて「心地よくない音楽」が誕生したのです。古典派音楽の旗手であるモーツァルトは、協奏曲や交響曲においても「怖い音楽」を生み出し、後生に多大なる影響を与えることとなります。
それからおよそ150年後、スターリン体制下のソ連で一人の音楽家が「怖い音楽」を奏でます。その名はドミトリー・ショスタコーヴィチ。ある時期は当局の寵愛を受けたかと思えば、ある時期は処刑寸前にまで追い込まれるなど、彼の創作人生には常に「国家権力」という恐怖が伴走していました。ショスタコーヴィチは、当局の目を掻い潜るかのような隠喩的音楽を残し、歴史にその名を刻んでいます。
本書では、従来の「癒し」イメージを排して、「恐怖」をキーワードにクラシック音楽の世界を案内します。父、自然、狂気、死、神、孤独、戦争、国家権力――。これらの「恐怖」が、ときに創作の源泉となり、現在の「クラシック音楽」を作り上げました。その格闘と煩悶の歴史を、ぜひ本書でご確認いただければと思います。
これまでにない異色の切り口ながらも、クラシック音楽の通史が一冊で概観できる本になりました。ただ歴史をなぞるだけの入門書には興味が湧かないという方、平板な音楽家評伝には飽き飽きだという方にこそ、ぜひお読みいただきたいと思います。
(NHK出版 粕谷昭大)