「昔はとってもかわいい子だったのに、だんだん生意気になってほんとうに残念。」
母がいつでもそう言っていたのをおぼえている。
幼稚園を出るくらいまで、私はとてもおっとりしていてかわいかったらしい。
しかし下町の過酷な小学校でがんがん遊んでいるうちに、だんだん口が達者になってかわいげがなくなってしまったらしい。
「しかたないよ、子どもには子どもの事情があるもの」と私は思っていたし、私も自分の子どもに同じようなことをいつも言うけれど、ほんとうにかわいさがなくなったとはもちろん思っていない。
だから、母が本気で言っているとは思っていなかった。
それでもくりかえしそう言われることは、やはりあんまり気持ちのいいものではなかった。
体が弱くてしたいことがあまりできなくなってしまった母は、私が作家になったときにあまり祝福してくれなかった。けっこう露骨に焼きもちを焼いて意地悪をしたり、いやみをいったりしてきた。
なんていう親だと思ったけれど、内側に秘められるよりも正直なだけましだな、とあらゆる場所で笑顔の裏のねたみを浴びながら生きているうちに思えるようになってきた。
母の部屋のいちばんだいじな本がある本棚に私の本が並んでいるのを見ると、あまり仲のよい母娘ではなかったとは言っても、私は愛されていたのだといつでも思うことができた。
両親が共に下町の出身で、人生は近所の人と助け合って生きるのが当然という中にいたからか、私は大人になってから、
「他人にそこまでするなんておかしい」
と言われることがとても多かった。だれかになにかを相談すると、まずそれを言われたものだ。
ふつうはそこまではしないのか、でも、うちでは当然だった、といつも思う。
いつのころからか「したことが報われなくても別にいい」と思えるようになってきた。助けたつもりの人が逆恨みしたりよけいなお世話だと言って去っていっても、自分なりに悔いのない行動をして、さらにここからはもうむりです、という線を自分なりにでいいのでしっかりとなるべくひいて、人間だからもちろん揺れるんだけれどなるべく揺れないように心を持って…まだまだできないけれど、よく言えば人を助けたい気持ち、悪く言えばおせっかいのよさを自分からなくしたくはないなと思う。