そんな母もすっかり年をとってぼけてきて、清潔好きすぎるがゆえの大変な習慣の数々からも解放され、いつでも仕事をしていないと落ち着かない性格もなくなってきた。一日中だいたい寝ているし、たまにお客さんが来ても、だれが来たのかいちいち覚えていない。
私はそれでもまだ、長く母の部屋にいるとなんだか昔みたいに怒られそうな気がして、今でもあまり母の部屋や入院中の病室に長居できない。三つ子の魂とはおそろしいものだ。
母は両足の大腿骨を骨折しているから、そうとう一生懸命に支えないと歩くことはできない。
このあいだ、姉といっしょに母を二階に支えながら連れて行ってベッドに寝かせた。姉は先に下に降りて、私は母が荒い息をしているのが落ち着くまで支えていた。
「もう今日の運動は終わりだから、あとはゆっくり寝てね」
私は言って、支えていた形のまま、母をぎゅっと抱きしめた。
そうしたら、母が急に言った。
「あら、かわいい、なんだかとってもかわいい。」
そして私を抱きしめた。
私はびっくりしてちょっと泣けた。
そんなことがあったことも、母はもう忘れてしまっただろう。でも、反射的にそう言ってくれたことが嬉しかった。
おばあさんと介護の人としてではなく、もう子どもに戻っちゃったボケたお年寄りと中年女性としてでもなく、あっちが大人でこっちが子どもという立場にそのきらめく一瞬だけ戻ったことが。
もうそんなことはないのだと思っていた。自分のほうがとにかくしっかりしなくてはいけないと思っていた。
でも違った。
意外な、そしてすてきなことをいつも神様(のようなもの)は用意してくれているんだと思うことができるようになった。
そしてあの瞬間は、私たちの母娘の歴史の中で、小さく輝くダイヤモンドみたいにいつまでも残るように思えた。