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NHK「100分de名著」ブックス アレクシエーヴィチ 戦争は女の顔をしていない
プロパガンダに煽られ、前線で銃を抱えながら、震え、恋をし、歌う乙女たち。戦後もなおトラウマや差別に苦しめられつつ、自らの体験を語るソ連従軍女性たちの証言は、凄惨だが、圧倒的な身体性を伴って生を希求する。そうした声に寄り添い「生きている文学」として昇華させた本作をはじめ、アレクシエーヴィチの一連の作品は「現代の苦しみと勇気に捧げられた記念碑」と高く評価され、ノンフィクション作家として初のノーベル文学賞を受賞した。原発事故、差別や自由、民主主義等、現代世界への問いを提起し続けるアレクシエーヴィチの文学的価値を親交の深い著者が語る。特別章ではロシアのウクライナ侵攻以降の状況も解説し、読書案内も収載。
【はじめに】(一部改変抄録)
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは1984年、ソ連ウクライナ共和国で生まれました。父はベラルーシ人、母はウクライナ人です。生後間もなく、父の故郷であるベラルーシのミンスクに一家で移住し、七二年にベラルーシ国立大学ジャーナリズム学部を卒業。翌年から三年間、「農村新聞」紙で記者として働き、その後は「ニョーマン」誌に移ってルポルタージュ・評論部長を務めました。
『戦争は女の顔をしていない』の取材を始めたのは、この「ニョーマン」誌時代の78年です。アレクシエーヴィチは、第二次世界大戦でソ連軍に従軍した女性たちのもとに足繫く通い、戦時中の過酷な経験、忘れがたい思い出、戦後の辛い体験やトラウマなどについて、じっくり耳を傾け、録音していきました。そして五百人にものぼる人びとの声を文字で再現し、紡いで、悲しみと苦しみに満ちた壮大な交響曲『戦争は女の顔をしていない』を織りあげたのです。
その後の作品も、いずれも膨大な証言を編集して構成するという同じ手法で書かれた〈証言文学〉です。2015年にノーベル文学賞を受賞したときの理由がまさに、「多声的(ポリフォニック)な作品は、現代の苦しみと勇気にささげられた記念碑である」「入念に人間の声のコラージュを作るという独創的な創作方法を用いて、時代全体に対する私たちの理解を深めてくれる」というものでした。大部分が証言から成るノンフィクション作品にノーベル文学賞が与えられた前例はなかったので、アレクシエーヴィチの受賞は驚きをもって迎えられましたが、私は、「文学」そのものの定義が押し広げられた、画期的な出来事だったと考えています。
執筆言語は彼女自身の母語であるロシア語です。『戦争は女の顔をしていない』が単行本として出版されたのは1985年、ソ連のゴルバチョフ共産党書記長がペレストロイカを始めた年に当たります。それまで従軍女性については、ごくわずかなことしか知られていなかったのですが、『戦争は女の顔をしていない』によって初めて、約百万人もいたといわれる元女性兵たちの実態に光が当てられました。(略)80年代末までにロシア語の原著が二百万部も売れ、二十以上の外国語に訳されたそうです。
ソ連が崩壊した後、ベラルーシもウクライナも独立しますが、やがてベラルーシでは「反体制的」だという理由でアレクシエーヴィチの著作は出版できなくなり、2000年以降、彼女は難を逃れてヨーロッパを転々としました。一一年に帰国したものの、20年8月の大統領選に端を発した民主化運動で、反体制派の政権委譲調整評議会の幹部に名を連ねたことから、現在はふたたび国外で活動せざるを得ない状況が続いています。
(略)2022年2月24日に、ロシアがウクライナへの軍事侵攻を始め、世界情勢は大きく変化しました。ふたたび名もなき人びとが戦争に巻きこまれ、家を破壊され、家族や友人を失い、耐え難い苦しみを味わっているなかで(略)アレクシエーヴィチの著作は、ますます現実味(アクチュアリティ)を帯びてきていると思います。