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集中講義 夏目漱石
漱石の心身の「葛藤」に刮目し、読者の共鳴を誘う、鮮烈な集中講義全5講。
そのデビュー作から絶筆までを五感を駆使して「読み証し」「読み明かす」。2019年3月「夏目漱石スペシャル」に大幅に加筆。
【「あとがき」より抜粋】
漱石は様々な顔を持つ作家です。妻と子供のいる家庭人である一方、こだわりのある趣味人、教師、読書家、勉強家、漢詩を書く人、そして弟子のたくさんいる「先生」であり、学者であり、かつ官僚のような所もあった。この『集中講義』はそんな多面的な漱石について、いくつかの作品とそこについてまわるテーマに的を絞って理解を試みるものでした。
選んだ作品は『吾輩は猫である』、『三四郎』、『夢十夜』、『道草』、『明暗』の五つ、(中略)漱石は作品ごとに新しいチャレンジを試みた人で、通して読んでも五冊を貫く指針のようなものはそう簡単には見えてきませんが、そのときどきに漱石が抱えていた葛藤が滲み出していることはわかります。漱石が直面していたのは生活上の困難であることもあれば、より深い内面の悩み、小説を書いていく上での試行錯誤もありましたし、心身の不具合も見逃せません。
次にあげるのはいずれも漱石が何らかの形で言及したり、表現したりしているわかりやすい〝お悩み〟の一覧です。
生徒が生意気だ。
日本の英語教育はうまくいっていない。
自分が大学で受けた英文学の教育に不満がある。
英文学研究とは何か、何だかよくわからない。
ロンドンに留学させてもらうこととになったけど、英語の勉強をしてこいと文部省の役員がいうのが嫌だ。
ロンドンに行ったが英語がうまくしゃべれない。
ロンドンに行ったが、気が滅入って困る。
東大の先生になったが、学生があまり懐いてこない。
授業の準備がたいへんだ。
大学の先生をするのは嫌だ。
大学で教えるより、「吾輩は猫である」など書いている方が楽しい。
妻との関係がうまくいかない。
胃腸の調子が悪い。痔になった。
もっと甘いものが食べたいが、妻が「だめ」と言う。甘い物を隠された。
金が足りない。
(中略)
漱石は近代作家としては典型的で、自分自身の葛藤を何らかの形で組み込むことで作中人物やテーマの組み立てや、展開などに活かしています。漱石は決して私小説作家と言えるタイプの人ではありませんでしたが、その作品はどの一節をとっても漱石の生理や身体の痕跡がこびりついています。おそらくそのような形で言葉に身体性をあたえることができたからこそ、彼の作品は多くの読者に訴えたのでしょう。